居るべき場所を見つけて ~地域おこし協力隊 鈴木祐磨さん~

大松山運動公園からほど近く、文教通り沿いにある「シェアスペースWEL」。シモツケ大学の活動拠点でもあるこの場所で、38か月の任期を終えられる鈴木さんにお話をうかがいました。

居場所を築いた3年8か月

ガラス扉の向こうから手を振りながら自転車を降りてくる子どもたち。あちらこちらから「ゆうまくん」とお呼びがかかる様子は、ここ下野市ではよく見られる光景です。

2020年7月、地域おこし協力隊として着任当初からコロナ禍での活動を余儀なくされてきた3年と8か月。制限がある中での活動を振り返り、『まちとひととの接点をつくるというミッションの土台作りの期間でもあった』とおっしゃる鈴木さん。築いてきた土台は着実に広がり、ここ下野市で居場所を確立した今、地域おこし協力隊としての活動の成果が実を結んでいます。

※地域おこし協力隊の任期特例について
任期は最長3年間ですが、コロナ禍により活動に大きな制約を受けた隊員を対象に、特例措置を総務省が創設し、「任期の延長が可能」と認められています。

昼間も夜も人の気配がまちのみんなをほっとさせる「シェアスペースWEL」

大切なきっかけづくりの場

シモツケ大学「しもつけミートアップ」記念写真

活動の柱のひとつが「シモツケ大学」。まちと人がつながる場をつくるこのプロジェクトに、立ち上げから関わってこられた鈴木さん。様々な取り組みを行ってきました。

新型コロナウイルス感染拡大防止が最優先の中、「公民連携による地域にぎわいづくり」というミッションを受け、相反する2つの課題に取り組んだ社会実験が「石橋縁側」です。グリム通り(JR石橋駅西口)を舞台に、協力店の店舗前にイスやテーブルを設置したオープンテラスを展開。人との接点が薄れていく一方だった当時、3密を回避しつつ顔が見えたこの実験は、利用者と協力店の双方にとって安心感を与えてくれる支えでもありました。この取り組みはその後も続き、のちにベンチづくりにまで発展。鈴木さんたちが奮闘したベンチは今でも町中で見ることができます。

ベンチ完成!みんなもまちで探してみてね
気軽に相談できる「妄想&アイディア相談会」

毎月開催されてきた「妄想&アイデア相談会」は、ひとりひとりの「やってみたい」の想いを受け止め、一緒に妄想し膨らませてくれる貴重な時間。想いは共感を得て形となり、イベントの主催者や講師となって多くの想いが実現してきました。WELの駄菓子屋さん「まんまる」のように、相談会をきっかけに「石橋にぎわい広場」で一緒にイベントを開催、さらに開業といった事例も生まれました。現在は拠点ができたことで、『子どもから大人まで様々な年齢層の方の相談が、より受けやすくなり繋がりも強くなった』と言います。

にぎラボ「モルック体験会と駄菓子屋さん」

石橋庁舎の跡地を整備して作られた「石橋にぎわい広場」は、公園のように利用ができ、災害時には一時避難場所として使用できるよう、防災トイレやソーラー発電照明を備えた広場です。社会実験「にぎわい広場実験室(にぎラボ)」としてまち行く人と大繩とびやモルックをしたり、「妄想&アイデア相談会」の実現の場としてイベント会場となってきました。

広場や空き地の活用方法は鈴木さんも悩むところ。でもこんなふうに、ひとりでは難しいけれど、いろいろな人の力も借りて『これからもまちの人と関わりアクションをおこすきっかけづくりの場にしていきたい』と話してくれました。

にぎラボ「広場でコタツ!」
にぎラボ「大縄跳び企画:1,000回飛ぶまで帰れません」

送り出すだけではなく迎えるところまで

まちへ取材に出かける高校生たち

特に印象的だった活動のひとつに、高校生地域定着促進事業をあげてくださった鈴木さん。高校生たちがクリエイターとなって企画からデザインまで行った、まちおこしポスターの制作「Cross the Bridge」では、高校生たちの参加理由は実に様々、でも共通していたのは、何をすべきか、どうしたらよいのか「わからない」ということ。「わからない」それでも一歩踏み出し集まってくれた高校生たちをサポート。いざまちに飛び出してみると、普段かかわりのなかった地元の人たちとの出会いに、「めっちゃ親切にしてもらったよ」「お土産持たせてくれた」など、まちの温かさを肌で感じてくれた高校生たちの表情が印象深かったと言います。

鈴木さんが特にお気に入りの作品が「あんこ剣士かまんど(菓子処 金子)」

高校生のもしもを叶えてきた「高校生もしもプロジェクト」では、プロジェクト初期に参加してくれた高校生が、今ではUターン促進事業のひとつ「しもつけ企業インターンプロジェクト」のプログラムに参加してくれているとのこと!『地域との出会いの場を開いてきたからこその繋がりが、卒業後にまた帰ってきたいと思ってもらえる帰る場も作れることがとてもいい』と嬉しそうに話してくれた鈴木さんもまた印象的でした。

高校生のための音楽交流フェスin下野市役所では、みんなのサポート役

青二才が描く、これからの「下野市」

これらの活動の多くは、すぐに効果が得られたわけではありません。『1回じゃ何も変わらない、小さくても細くてもやり続けることが大事だと思う』と語る鈴木さん。その思いが今「NPO法人青二才」という形となって、新たなステージへと進み始めています。

地域と行政の間にたって、市民活動の支援と促進を担う中間支援組織を立ち上げる。そんなミッションにはじめは戸惑いもあったと言います。しかし、下野市で暮らしていく中で時間をかけて、出会った人々にもらった数多くの恩を返したい、ゲストではなく根を張り下野市にいたいとの思いに至り誕生した「NPO法人青二才」。

名前の由来を聞くと真っ先に返ってきた言葉は『自分自身が青二才なので』。 ネガティブな言葉として使われがちな「青二才」。でもちょっと離れて文字を見てみると、「青二才」→「青=才」。「青」は若者、「才」は才能で、「若者=才能」。『わたしたちは才能にあふれているんだよ!自分の可能性を信じて一歩踏み出してほしい』。新しい「青二才」の概念や文化を作れたらとの想いがこの名前には込められていると言います。

若者には学生もいれば、鈴木さんのような社会人もいます。学校や会社でもない、家でもない、第3の居場所を目指す「NPO法人青二才」。挑戦する若者を増やし、その若者を支えられる地域をつくることが最終目標。『ただ若者を応援するだけじゃない、そこに若者じゃない人たちも、一緒にやっていこうよ!地域を良くしていこうよ!』と語る鈴木さん。

これからのまちづくりに人づくりは必要不可欠。頼もしい先輩から後輩まで、多くの仲間を得て鈴木さんの活動はますます広がっていきます。

インタビュアー:プチハピしもつけリポーター斉藤美貴